太鼓眼鏡の似非教育学的考察

太鼓眼鏡のブログです。不定期更新ですが、よろしくお願いします。

日本大学教学戦略シンポジウム

今日は意識高いマンとして、日本大学教学戦略シンポジウムに参加してきた。

http://www.nihon-u.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2014/11/b94ffa441664e697c1accbb7d56c4d8d.pdf

 

 

自分の興味分野として教育のオープン化とそれに伴う社会への影響が挙げられる。ここで教育のオープン化、簡単に言ってしまえばMOOCやOCWを始めとした教育のオンライン化がどんな問題を抱え、現状どんな用例があるのか、どんな影響を及ぼしているのか、を講演を踏まえて考えたい。

いくつか問題提起をしながら、答えられるものには答えてみる。

 

1.今日本の大学に求められているものはなにか

まずは自分の頭で考えて見ると、日本の高等教育はユニバーサル段階にあって、そこで生じるいくつかの問題へ対応することが求められている。例えば、必然的に起こる学生のモチベーションや知識レベルの低下、または高等教育を受ければホワイトカラーの職につけるという常識の崩壊、こういった事象にどう対応していくかが直近の課題になる。

こうした課題に向けて現在考えられているのは大学の機能の分化であり、職業教育化や企業経営の視点を取り入れた運営体制になる。また俗な言い方をすればグローバル人材の育成(グローバル人材とは何かという話は別で)などもあげられるかもしれない。

自分の持っている知識だけだと広く薄っぺらい内容になるので、オープン化に話を絞ろうと試みながら少し講演の内容を用いて考えてみる。

経営の視点を大学に盛り込んだ際に、必要となる視点は象牙の塔からの脱却だと考えられる。つまり今までの「何やってるのかよくわかんないけど、とりあえず頭良さそうな場所」から「社会にとってこんなに役に立つことを研究している場所」にシフトする必要がある。これは要するに成果主義的であって、短期的に評価が出やすい研究が重視される傾向になる。

hibi.hatenadiary.jp

この時に一つ可能な方法として、教育のオープン化が上げられないだろうか。つまり社会に大学教育を提供することで、自身の存在価値をアピール出来るのではないか。これに付随して、ファカルティ・ディベロップメントの視点から見ても、今まで自分の教室の中で完結していた授業がオンラインの海にさらされることは授業の質改善にも大いに役立つことは容易に想像出来る。また日本ではまだあまり機能していないが、OCWのような大学の講義をそのまま配信する形式をとることはそのまま大学の広報機能を果たす。

さらに現状問題視されている、高校と大学の教育内容の乖離も、教育のオープン化により対策を練ることが可能となる。これは例えば高校生が授業をオンライン講座で受けるという意味だけに留まらず、高校で物理や数学を学んでいない学生が大学に入った後に高校レベルの該当知識が必要となった際にフォローするという使われ方もしている。つまりこういった場合、従来高等教育からドロップアウトせざるを得なかった人々へのセーフティーネットとしての役割を果たすのである。

この質問に関しては自分でも答えが出ていないので、現状での答えをまとめると

大学に求められているものは風通しの良さであって、そこから派生する実学主義/成果主義的な発想が現在の職業教育化であったり官僚制度化につながっている。この要望に答えるために、高い学費を払った一部の学生だけでなく生涯教育の場として、また大学自体の教育の質的向上を図るためにも教育のオープン化に期待される役割は大きい。

 

とりあえず疲れたので残りは問題提起で。

2.日本にオープンエデュケーションは必要か

3.教育のオンライン化が社会に与える影響はどの程度か

4.オープンエデュケーションが抱える課題は何か

5.今後高等教育にはどのような変化が想定されるか

6.教育をオンライン化することの意義を捉え直す