太鼓眼鏡の似非教育学的考察

太鼓眼鏡のブログです。不定期更新ですが、よろしくお願いします。

これからの学習に必要なスキルは何か

いやー雨が強いですね。ようやく本格的に梅雨っぽくなってきました。 さて、連続更新2日目です。まあ今回はたまたま書きたいことがあっただけですが、書けるときには書いておこうと思います。 ここのところUdacityを使ってPythonの勉強をしているんだけど、今日はやっていくうちに感じたことをまとめます。

Udacityって何?

そもそもそれなんですかっていう方もいると思うので簡単に。 UdacityっていうのはMOOCsの1つで、簡単に言えばオンラインで主にプログラミング関連の勉強が出来る場です。他のMOOCsとしてはedXとかが挙げられますが、そちらはもっと人文系も取り扱ってるし、高等教育機関の影響が強いです。一方Udacityは企業との連携が強くて、ある程度お金払えば学習履歴で就職活動を行ったりすることも出来るはず。 またMOOCsにしては珍しく、各コースの期限がなく、全てが自分のペースで学べるようになっています。

www.udacity.com

www.edx.org

Pythonは?

これは正直説明出来るほどわかってるわけじゃありませんが、今勉強してるのは将来的にLearning Analyticsという分野で仕事が出来るように、データ解析が得意(らしい)Pythonを勉強しておこうという腹です。Rは触ったことあるけど、こっちはさっぱりなので… まあ単純にIntro to Computer Scienceという今とっている授業が、Python検索エンジンを作ることが最終目標なのも大きいです。

やってるうちに感じたこと

知識を持つことよりも、知識をどう使うかが重視される

ありきたりな話ですが、今回受講していて強く感じたことです。

Udacityってどの授業でもそうなんだけど、ある地点から難易度がぐっとあがるんです。こんなん無理だろ!どうやんだよ!ってなることが多々出てきます。

僕の場合は、Lesson2のProblemset(Option1)まではほとんどノーストップでいけたんですが、次のOption2からもうダメですね。全部で5問あるんですが、毎回ググったり、掲示板見たり、紙に書きまくって一日一問くらいしか進んでません。全Lesson7までなので、まだまだ先は長い…。

それで、最初はちょっと飛ばしすぎだろ!と思ってたんですが、段々やっているうちに「自分で調べて、その知識使って自分で勉強していけよ」というメッセージを感じました。というかそういう学び方が今大事なんだろうなと。

ちょっと本気で調べてもらえれば分かるんですが、このご時世ネットで探せばいくらでも教材は出てくるんですよね。でもそれってコンテンツだから作成者に質問とか送るのは難しいし、誰でも作れるということは間違ってる可能性もなくはない。というか場合によっては、1つのものごとにそれぞれの立場があるので、ものによって解釈が違うなんてことはままに有る。

このとき大事なのは、どれが正しいのよってちゃんと判断出来るメディア・リテラシーですよね。しかも更に言えば複数のソースを見つけてきて、しかもそれを自分で解釈・利用出来るっていう能力が必須なんです。そしてUdacityの学び方はある程度このスキルを前提にしている。

だから基礎基本は教えるけど、問題を解くときにはいろいろ調べてみてね、ということになる。だってそれ習ってねえし!は通用しない。多分ギリギリ習ってることだけでも解けるんだけど、そうするとすごい遠回りだったり、アイデアが必要だったりするんですよね。

つまりまとめると、知識はもうそこにある。調べればいくらでも出てくる。だから課題になっているのは、

  • まず調べられるのか
  • 情報の解釈が出来るか
  • 得た情報を自分のものとして利用出来るか

だと思うんです。

このうち1つ目だけに特化した人が多いし、2つ目だけにメディアリテラシー教育は注力する傾向にある。だけど3つ目が出来ないなら、1つ目と2つ目はもうあまり意味がないですよね。

何かを教えることより、きっかけを作ることが大事

別に知識なんて覚えなくていいよねと言ってるわけじゃないけれど、教員も含む教育コンテンツの役割は「学ぶきっかけを与えてやる」ことだと思うんです。例えば僕の友人に世界史馬鹿みたいなのがいましたが、彼は幼少期に日本の歴史と世界の歴史シリーズを散々読んだ結果、中学の誕生日に世界史研究をもらって喜ぶような男になったそうです。そうやって、きっかけさえ与えられれば学ぶ方法はたくさんあるんだから、そこを意識的に教育コンテンツが担うべきなんじゃないかと。

そんなことを考えているときにたまたま見つけた記事に、

だからこれから価値のある教師というのは、知識やスキルを楽しく教えてくれる人か、人間にしかできないことを教えてくれる教師なのです。 人と人とのコミュケーション、遊び、社会との関わり、他者との関わり、いい人柄になることの大切さ、真理、などなど、たくさん教えることはある。 知識やスキルよりも、そっちのほうが生きていく上では大切なことだから。

と書いてありました。楽しく教えてくれる人っていうのは僕の理解ではきっかけを与えてくれる人です。ただこの「人間にしか出来ないことを教えてくれる人」というのはちょっと疑問がある。これは僕が今後人工知能はどうなっていくと思っているかに関わる話なので今回は深くは書きませんが。

www.ex-ma.com

もう一つ、少し視点は異なりますが、移動式本屋「BOOK TRUCK」を運営している三田修平も似たようなことを言っていました。

── ふだん本を読まないひとに本を手に取ってもらうために、工夫されていることはなんですか? 三田 「あ、コレ知っている!」って思ってもらえる本を、散りばめておくことですね。知っている本があるかないかで、自分と本との位置関係が決まると思っていて、その点がぼんやりしていると「この店はぼくがいるところじゃない」って途端につまらなくなってしまうんです。

── さきほど、お客様と本との接点を、絵本で引き寄せるというお話がありましたが、いつでも絵本を置けるわけではないですよね。もうすこし普遍的な、売り場づくりでいうと、どういう視点が大切なのでしょうか。 三田 本屋の要素は「検索性」と「提案性」の両輪があるというのが、ぼくの持論です。昔は検索性の高いお店の方が、本が売れました。たとえば特定の小説家や専門書は、きちんとカテゴライズされて、あいうえお順に並んでいれば、目的の本にすぐたどり着けましたからね。でも、いまはオンライン上で検索すればあっという間に本が買えます。検索性の高い売り場は、どんどんオンライン上に移行しています。 それならば、実店舗は売り場そのものをおもしろくして、提案性に特化していくほうが、本屋として魅力的になるし、お客様も来てくださると思うんです。旅というテーマに合う小説や専門書、ガイドブックや写真集などを同じ棚に置くとか。目的買いではなく、雰囲気を味わいに来てもらうほうが、これからは大事になると思います。

motokurashi.com

これからの教育はどうなっていくか

どうなっていくんでしょうね。

僕は先日お邪魔したNew Education Expoで聞いた「Instructional Design から Learning Designへ」というフレーズが印象的でした。そうなっていくんじゃないかと思っています。

New Education Expo

だからこそ、学校という場がどう機能すべきなのか考えていくべきだと思います。学校外からのアプローチは非常に沢山の取り組みが為されているけれど、学校自体が持つ役割がどんどん希薄化している気がするので。

最後にもう一つイケダハヤトさんの記事を引用して終わります。

デストロイヤー・イケダハヤトとしては、学校の価値を、もっと落とさないとダメなんだろうなぁ、と思っています。 学校なんて趣味のサークルみたいなもんです。学校なんて大したものじゃないし、あそこに入り浸ると「自分の頭で考える」能力が失われています。なんでみんな、そんなにこだわるんでしょうね。

www.ikedahayato.com

この記事で紹介されている「悩みどころと逃げどころ」面白そうなので読んでみようかしら。

では。