太鼓眼鏡の似非教育学的考察

太鼓眼鏡のブログです。不定期更新ですが、よろしくお願いします。

フランス同時多発テロについて (11/15 facebook投稿より)

久しぶりに投稿します。国旗にプロフィールを変えるつもりはないし、けれどしっかり考えていることはまとめておきたいので。
まず今回フランスで被害にあった方々へご冥福をお祈りします。
実は僕は全くテレビや新聞を読まないし、ニュースアプリもほとんど消してしまったので何となくしか事件の概要を知りません。でもまあそれがあまり悪いことだとも思わない。


今世界ではフランスだけでなくいろいろなところで同様の事件が起き、難民問題に揺れ、テロに怯え、という状態。その一つ一つを詳細に知ることは難しい。だからこそ、そういう可能性があるのだ、ということを常に頭に入れておくことが大切なのだと思います。

 

情報社会と呼ばれる現代では、ニュース見れば何でもわかるような気になります。でもその情報のほとんどが日本人がフランスの現状を見て書いたものでしょう。それがどれだけ現実をきちんと映しているんでしょうか。

 

無限に情報が溢れているからこそ、得られていない情報、見落としている情報、知らない現実が山のようにあるのだという想像力が大切なんだろうと思います。

 

 

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

 

 

先日「リトル・ピープルの時代」という本を読みました。国民国家など大きな物語、ビッグブラザーが消滅した現代は、リトル・ピープルの時代です。あなたと私の正義は違う。その差異から対立が起きる。まず大前提が違うのだ、ということ。それが一番大切。

 

もう一つ、誰もが父になる時代は終わり、誰もが父である時代になったのだということ。この表現は本から借りています。つまり僕らは普通に生活をしているだけで誰かに影響を与えてしまう。今回のことだって、元を正せばと考えていけば自分に返ってくる。なんの気なしにしたことが周り回っていろいろな形で返ってくるんです。


フランスの自業自得と言いたいわけじゃなく、加害者側の状態もしっかり考慮すべき。誰にも知られていない悲劇の存在にも想像力を働かせるべき。あなたと私は違うのだと認識すべき。頭でっかちな人間なので、理想論ばかり並べました。

 

最後に結論として、今回のことに原因なんてものはないでしょう。善悪だって人によって判断基準が違う。けれど少なくとも平和な状態とはいえない。それはテロが起きたからではなく、テロが起きる可能性がある世界だからです。被害者が怯えているからだけでなく、加害者になる可能性がある人がいるからです。
そんな複雑な世界で何が出来るのか、何を考えるべきなのか。
書いていたらまとまるかと思ったけれど、未だにモヤモヤは続きます。