太鼓眼鏡の似非教育学的考察

太鼓眼鏡のブログです。不定期更新ですが、よろしくお願いします。

英語教育の目的と手法

今日ゼミであったことを簡単に。

英語教育において伝統的な文法を中心として教師が生徒に話し続けるようなスタイルの学習と生徒中心のアクティビティを重視したspeakingとlisteningを中心とした学習とでは、後者のほうが圧倒的に強いことがわかっているらしい。

で、ここで議論になったのが「なぜここまで研究が進んでいるのに応用されないのか」。

 

個人的な考えとして、

1.ニーズが合わないのではないか

2.教育現場の特性のせいで変えるのが困難なのではないか

の2点をあげる。

 

 

1.ニーズが合わないのではないか

これは生徒中心の学習よりもとにかく多くの知識量を板書し、ノートに写し、覚えやすい方法を習い…という従来の方法の方が学校のニーズに合ってるんじゃないかということだ。もしくは合っていると認識されているんじゃないか。

なぜなら英語を喋れるようになることが目的である英会話教室では学習者中心の学習なんてもう当たり前すぎることになっているからだ。つまり日本の学校の英語教育は喋れるようになること、ではなくて、よりテストでいい点をとれるようになること、を目的としているから教師中心の知識偏重型の方が断然効率がいいのだという判断が暗黙のうちにされているんじゃないか。

 

2.教育現場の特性のせいで変えるのが困難なのではないか

教育現場はそもそも変化を苦手とする。各々には自分のやり方があるし、生徒も教師も楽な方に流れる。しかも評価方法のテストが統一されてるから、とてもじゃないが個人レベルで勝手なことは出来ない。

だからICTは予備校業界に先に広まった。今までの学校と同じような時間割形式の予備校だと通えなかった部活をやっている連中がほとんど全員映像授業に流れていった。

日本人はface-to-faceの授業を好むそうだが、それは経験に根付いているから予備校での経験なら特にないというのも1つの理由かもしれない。

また最近のアイデアとして、テクノロジーを用いて学習しているときに重要なのは身体がどこにあるのかではないかという案からも某映像授業の予備校は面白い。授業は基本的に予備校でしか受けられないため、受講室には常に人がいるしそのうちのほとんどが授業を受けている。例えそれが違う授業で、違うタイミングで受けていたとしても、学習環境が近ければ人間はオンライン上にオフラインのそれと同じ感覚で入っていけるのではないか。

 

とりあえずメモということでまとめてみました。では。