太鼓眼鏡の似非教育学的考察

太鼓眼鏡のブログです。不定期更新ですが、よろしくお願いします。

eラーニングの課題について考えてみた

割りと今までも書いていた話題なんですが、巷で噂のeラーニングについて私見をまとめます。

皆さんはeラーニングというとどんな印象を受けるんですしょうか。高校生とかだと東進ハイスクールなんかのおかげで、大分映像授業が浸透していますよね。僕が昔所属していたmanaveeも高校生向けだし、割りとその層には浸透してるように思います。

また最近は英語学習アプリが浸透していて、えいぽんたんとか面白いですよね。あんまり継続は出来ないんだけど…。
僕は最近またサボリ気味ですが、基本的にAnkiを使って暗記学習をしています。

 

 

cyclemem.hatenablog.com

 

と、まあこんな具合にeラーニングないしは、オンライン教育ってある程度浸透してますよね。

 

でもこれがいざMOOCsOCW、企業内のeラーニングシステムなんかになると、そうそう上手くはいかないようです。多分えいぽんたんとかのアプリも同じなんじゃないかと思うんだけど、

 

基本的に「続かない」んですよね。

 

最初は面白そうだから、インストールしてみたり、受講してみたりする。それなりに良く出来てれば学ぶこともあって、「これいいなーなんて思う」。

でも1ヶ月後、ヘタすれば1週間後には存在すら忘れてる可能性が高いんです。

 

で、僕はこれはなんでなんだろうなーなんてことをずっと考えてるんですね。

そこで今日は現時点での自分の回答をまとめようと思います。

 

回答というのはずばり、

eラーニングを1つの場としてデザイン出来ていないから

じゃないかと思うんです。

 

もう少し具体的に言うと、

eラーニングを主導する組織は基本的に「教育=いいもの」という認識で動いており、

「人々は教育を受けたいのだ」という前提で活動をしています。

そこがそもそも大間違いで、人間は怠惰なんだから勉強なんて自発的にはしないんですよね。

 

しかもeラーニングというのは、基本的に電子機器を使う以上、本を使うよりも学習に入るまでに必要なステップが多い。

電源を付ける→PCにログインする→ブラウザを起動→ブックマークからサイトへアクセス→マイページにログインし………

なんてやってる時間があれば、本を使って英単語5個くらい覚えられるでしょ。

しかもその途中にはSNSやらYouTubeやらニュース記事やら、山のような誘惑がある。

 

 

もう一つeラーニングを考える組織の大きな勘違いは、教育効果にばかり目がいっていて、教育が始まるところに目がいかないことだと思います。

 

これは僕が大学で学んでいたときに感じたもので、ICT教育分野の勉強って授業設計を中心に行うんです。だからそもそも授業に来ない人は対象じゃないんですね。

だけど、SEO対策しなきゃ検索したってアクセス出来ないし、コースだって上手く配置しなきゃ受けたい授業が見つからない。リマインドメールだけじゃない継続出来る仕組みを作らないと、毎日サイトに来てなんてくれません。

 

ここで教育学者が解決策として提示するのは、大体Instructional Designです。教授デザインですね。

 

どう考えてもそうじゃないだろ、と。

昨今「デザイン」がキーワードになっている中でどうしてeラーニングは広く経験のデザインに目がいかないのだろう。明らかにそこが問題だろ!

だからそこをどうにかしなきゃいけないんだよなあ。ということを考えた結果、僕はまずひとまずアカデミックな世界に進むのをやめて、普通に就職することにしました。

理由は山程ありますが、長くなるので割愛。

 

ちなみに僕には、「人とオンラインの教育コンテンツのマッチング」というテーマがあり、今回のデザインというのはラーニングアナリティクスと並んで解決策となりうる発想じゃないかと思っています。

 

具体的なサービス名を用いてもう少し続けたいところですが、もうだいぶ長いし疲れてきたのでまた今度。

 

では。

 

と最近