太鼓眼鏡の似非教育学的考察

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リトル・ピープルの時代

2015/10/21
一昨日リトル・ピープルの時代を読み終えた。簡単なまとめと自分なりの付け足しを記録しておく。 

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

リトル・ピープルの時代 (幻冬舎文庫)

 

 まず全体を通して、前提として世界は変わったのだという認識の根拠とその変わった世界を規定しているシステム(壁)に我々人間(卵)はどう関与していけばいいのかという疑問への解答を示すことを試みている。前者の根拠を著者は日本の文学やポップカルチャーを通して、社会がそれらに求めるものの変化を通して明らかにしていき、その作品群の在り方(具体的には仮面ライダーの変化)を通して答えを得ようとしている。

例えば第一章では、村上春樹が「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」という2つの問題への対処の仕方、著者の言葉ではデタッチメントとコミットメントを通して壁への対処法を模索していることを示す。そして村上春樹は以前はデタッチメントに倫理の在り方を求めていたのに対して、1Q84ではコミットメントを正義として定めている。しかし彼のコミットメントでは、自身は責任を負わず母的存在にその責任を負わせることで自分は被害を被らない。例えばねじまき鳥クロニクルでは、主人公はシステムの象徴であるワタヤノボルを意識の中で殺害するが、その結果同時点に現実でワタヤノボルを殺害した妻クミコが逮捕されることで物語が終わる。そして1Q84ではほとんど初めて村上春樹の小説内で主人公が父になる。つまり村上春樹の問題は「どう父になるか」である、と言える。しかし現代社会は個々人が無意識に「父になっている」時代であり、父でありながらどうお互いが関わるかが課題となっている。あなたとわたしの正義は違う。

第二章ではこの観点から日本のポップカルチャー、特に仮面ライダーを中心としてヒーロー像を議論する。当初大きなものの象徴であったウルトラマンガメラに対して、仮面ライダーは初代では彼自身ショッカーのなりそこないであり、その後の仮面ライダーはベルトさえあれば誰にでもなれるものとなっていく。「光の国」から来たウルトラマンに対して、仮面ライダーは徹底的に内部から生じた存在である。ここで「正義」の問題は徐々に仮面ライダー同士の闘いに反映されていくことになる。つまりあなたとわたしの正義は違い、誰でも仮面ライダーになれる時代において、昨日の友は一歩間違えば今日の敵なのだ。大きな物語がなく、個々のアイデンティティ不安が溢れる時代でどう生きていくのか、が仮面ライダーの課題となっていく。

ここで面白いのはその集大成としての2つの仮面ライダーに対する議論だった。1つは仮面ライダーディケイドであり、もう1つは仮面ライダー電王だ。ディケイドは今までの仮面ライダーの世界をつなげてしまうグローバリゼーションの象徴であり、誰もがつながってしまうインターネットの比喩とも言える。一方電王は拡張現実の象徴であり、自身のキャラを分割して生活する現代社会の人々の在り方と一致している。

正直この本は自分にはまだ難しく、答えに至るまでの過程はほとんど理解出来なかった。ので、ほとんど抜き出し的にわかるところのみを抜き出して読んでいる。
また補完的に随時追加していこうと思う。

最後にまとめると、現代社会は仮想現実ではなく拡張現実の時代であると著者は結論づけている。セカンドライフアメーバピグが流行った仮想現実の時代から、現代社会からデジタルの世界へどうつなげていくのかという拡張現実の世界になっているのだ。自分をどこまで拡張していくかがこれからの課題となっていくだろう。

一方で、著者は拡張という言葉を用いたが、それは物によっては分裂とも表現出来るのではないか。前述の電王の在り方は確かに自分に他者人格を追加していくことで拡張しているが、そこで表現される私の「キャラ」はある意味自身のアイデンティティを切り貼りした結果ともとれる。

またここでやはり認識されるのは教育の周回遅れだ。今ようやく教育は仮想現実の時代の入り口に立とうとしている。想像力において特異な環境にあり、その想像力は現代社会の要請によるものだ、というのがこの本の根本的な考えだが、それを真とするならば社会の要請と教育の実情の格差は目に余る。この考えをヒントに下流志向やアーキテクチャの生態系を再度読みなおしてみたいと思う。

補足的にだが、本論の根源にある考え方(想像力は社会要請の反映)は村上春樹のオリジナリティ論とほとんど一致している。オリジナリティは出た直後にはほとんど認識されず、むしろ批判の対象とすらなるが、その後その影響を受けたものが溢れ出てオリジナリティが薄れていく頃にようやくそれは認識されるのだ。だからこそ残ったもの、インパクトを与えたものこそは社会要請に答えているものであると判断出来る。この認識はアーキテクチャの生態系においてもほとんど同じかもしれない。

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

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職業としての小説家 (Switch library)

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ちなみに次に読んでいる本は「知的トレーニングの技術」。読書猿のたね本ということで期待してる。今のところそこそこ面白いけれど、先にこのブログを読んでなかったらちょっとやめていたかも。

アキラ効果を確認する『知的トレーニングの技術』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

読書猿ブログはこの一冊から始まった:『知的トレーニングの技術』復活を知らせ再び強く勧める 読書猿Classic: between / beyond readers

知的トレーニングの技術〔完全独習版〕 (ちくま学芸文庫)

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