太鼓眼鏡の似非教育学的考察

太鼓眼鏡のブログです。不定期更新ですが、よろしくお願いします。

オンライン教育は何かをもたらすのか

今度ゼミで15分ほどの簡単なプレゼンをするように言われたので、簡単に内容をまとめます。テーマは夏休みに行った京大でのインタビューについて。ただせっかくなのでついでに行った大学生研究フォーラムについても少し話せたらなと思う。

 

当日の日記によれば、2つのことを学んだのだそう。そのうちの1つは個人的な内容なので割愛し、もう1つをまずは引用。

一つ目に、まず今教育とテクノロジーという文脈で研究を進めている中で、質保証という考え方があります。要するに例えばオンラインで教育サービスを提供する場合に、その質的な保証は誰がどうするのかという問題です。しかしこの質というのはもしかしたら利用者にとってはあまり関係ないんじゃないかというご意見をいただきました。つまり、Quality<Needsであって、ニーズがあるコンテンツはどんなにコンテンツがひどくても使われるのではないか、ということです。そこから発展していくこともあると思いますが、使用する・しないの判断は質では議論されていないのではないかということです。

この内容を自分なりに、更に少しまとめます。

 

  • 今後オンライン教育は必要とされるところで、目的先行で作成・使用されていくだろう。

 つまり今公開されているようなMOOCsOCWのような一般公開式のオンライン教育よりも、何らかの目的を持って作成されるものが使用されていくだろうということです。更に噛み砕いて言い換えれば、自分達が使いたいものを自分達で作っていくべきであり、そうやって作られたものが基本的には今後用いられるだろうということだ。そしてそれをオープンにして他の人が使うというのはむしろ副次的な効果としてのみ期待されていくということ。公開すること自体を目的としてきた今までのOERとはまた少し発想が異なる。

  具体例を示すと、京都大学では行列やベクトルを自学出来るようにOCWを用いて特別なコンテンツを作成したそうだ。これは指導要領改訂により、新入生が行列・ベクトルを学んでいないことへの対策として行われたものであり、高校内容を教えることに抵抗のある教授陣にはニーズがあったのだろう。

 もう1つは、オンライン化が日本だと遅いて言うけど、実際塾業界では普通に用いられていることもここに原因があると思う。受験という強いニーズがあるところに、誰でも学習出来る仕組みを導入したことで普及したのだろう。

 これらの例はクリステンセンの破壊的イノベーションに適当出来るように思う。まだ読了していないので、また後日それについては書こう。 

教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する

教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する

 

 

と箇条書きで書こうと思ってたけど、ここまで書いて疲れたので残りは後日。

 

次書くときに忘れたら嫌なので、大学生研究フォーラムについての感想を事前にシェア。

 

そして二日目の今日は大学生研究フォーラムというものにお邪魔しました。今までにも何度かフォーラムには行きましたが、今までで多分一番学士課程が少なかった気がする。内心ビクビクでしたが優しい人ばかりで救われました。テーマは「大学に必要なのはプロジェクトかプロジェクト学習か」。主に実践されているプロジェクトの紹介から、それらについてのディスカッションという形でした。忘れないうちにまとまってませんが、思っていることを幾つか。
1プロジェクトベースの学習が導入されればされるほど、人文系や役に立たない学びの未来は危ういであろうこと。僕が大学で経験した、頭をかち割られるような、でもうまく言語化できない価値観を根底から揺さぶられるような体験がなくなってしまうようで個人的にはとても危惧しています。学習なんてのは全てが全て綺麗にデザインされていて、役に立って、成果が目に見えてというものではない気がするんだという話です。
2大学の未来はそこまで明るくないかもしれないと感じたこと。それは実践が紹介される中で、その登壇者と聴衆の方々の反応を見て感じてしまったことです。登壇者の方の紹介しているプロジェクトは素晴らしいんだけれども、でもそのプロジェクトを汎用的に用いるには今後どういう視点がありえるか、という部分が欠けているように思うんです。そのままじゃ、すごいでしょって自慢で終わってしまってるんじゃないか。また聴衆の方はほとんどが大学職員や教員だったわけですが、そのプロジェクトに対しての反応は「すごいねえ」「こういうとこがだめだ!」「やってみたいけどねえ」とかなんですね。今自分の大学がやっている取り組みとの類似点を探したり、そこにどういう風に活かせるかという考え方や、自分の大学の目的や特色とそのプロジェクトは本当にあっているのかという議論が徹底的に欠如していると感じました。特に同じプロジェクトを商品化して各大学に用いていくようなやり方は思考停止の画一化ではないでしょうか。
3大学は何を教えるべきなのか、ということを考えていきたいと思いましたし、そういう視点から僕が分野にしたいと考えているICT教育のニーズが見えてくるように思います。つまり、大学というのはもちろん学問の場である反面、一方では人材を社会に送り出す機関でもある。となると、その時代にあった人間を育成する必要があり、そこから企業の要請にあった教育を、という発想が出てくるんだと思います。でも今までは、企業で必要な能力がはっきりいってそれほど高くなかったから、大学教育+社内研修で足りた。でもその能力がどんどん複雑化・高度化していくと、社内研修で足りない部分を補えなくなる。そこを大学にどうにかしてくれ、というのが昨今の産学連携の流れではないかと今日のフォーラムで思いました。でも従来の学術教育は必要なわけで、となると学士課程を一年伸ばすとかそういうことが必要になるかもしれません。そこで例えばパワポ見ればわかるだろこれ!みたいな授業を根こそぎオンライン化してしまってみんなが1.5倍速で授業を見る、で授業の時間にはアクティブラーニングなりプロジェクト学習なり発展的な内容を抑えていく。要するに従来の学習をより公立的にすることはできないのかという発想です。勝手にちょっと面白いんじゃないかと思っている。考えてる人たくさんいそうだけど。
4今回問題視されている主体性のない大学生として一意見を言わせていただくと、偏差値一辺倒のあんな受験システムで主体性なんて身についてるわけないだろと思う。なんとなく分野が一緒で偏差値がちょうどいい大学に来た学生に主体性を期待するのがまず間違いではないか。さらに言えば、これは受験が悪いと言えばそれまでだけれど、例えば今日のプロジェクト学習の具体例をそのまま受け入れようとした某大学たちのように、「これをやればうまくいく!」みたいな特効薬をあほみたいに信じ込み、グローバルなんちゃら学科設立して、ていう「画一的な特色」を大学が歌っている限りは、そこに誰も魅力なんて感じないし、主体性なんて持てない。各大学が自分たちの独自の立ち位置を模索して、それを受験生にも企業にもアピールしていかないと「乱立された中の一大学」なだけなんだよね。これは内田樹さんのアイデアに近いんだけどね。「選ばれないリスク」を取らないことが大学の一番の病巣なんじゃないか。また一方で関係者に話を聞くと文科省とのやりとりもかなり大変そう。大学の自治なんて言葉をふと思い出すわけ。