太鼓眼鏡の似非教育学的考察

太鼓眼鏡のブログです。不定期更新ですが、よろしくお願いします。

卒論に向けてのメモ2

  • ちょっと大学に行けば実際に会える大学生に教えてもらうことで、内容はさておきいいお兄さんお姉さんに教えてもらってるような親近感を得るとか。そういうアプローチで内発的動機づけを高めていくような仕組みが今後必要なのかもしれない。 posted at 01:13:22
  • まとめると、日本において学習行動を促進するのにはID的アプローチ以外にももう一つ学習行動自体を認知させるという方法があるのではないか、という仮説をたてた。つまり他者も学習していて、自分もその一員であるという認識を持つとか。 posted at 01:12:34
  • そのためにはむしろ映画みたいな高予算の動画よりも低予算でちょっと見にくくてもくだらないジョークが入っていたり会いにいけるアイドルだったりするほうがユーザーは増えるんじゃないか。学習自体も促進されるように思う。 posted at 01:11:23
  • 端的にいうと、世間一般にオンライン教育を普及させるためにはコンテンツそのものの質をあげるよりも、どうユーザーに授業を受けているという行為自体の実感を持たせるかではないか。 posted at 01:10:31
  • 田口真奈先生の研究でも、視認出来ない遠隔地にいる学習者が学習行動を促進ないしは阻害するという結果が出ていたし、やはりインターフェースの影響はでかいのではないか。 posted at 01:09:49
  • この場合オンライン学習を促進しているのは学習内容やよくデザインされた教材なんかではなくて、その仕組によって自分が学習している状態を何らかの形で肯定か認識してくれている存在なんじゃないか。 posted at 01:08:59
  • その場合schooやmanaveeのようなアプローチはポジティブに機能する可能性がある。つまり他の人がコメントをしていることで、見ているのは自分だけではないことが実感として得られるし、先生への親近性があるだけで見てくれているような気になる。 posted at 01:08:08
  • その場合オンライン教育が普及するのはかなり難しい。行為自体が目的化するにはその行為が社会的に認められている必要があり、それに対しオンラインの学習はどこまでも孤独な活動で、その活動自体を視認してくれる相手がいない。 posted at 01:07:09
  • 実際問題授業内容よりも出席した事自体が問われる大学の授業もそうなわけで、行為それ自体が目的化している現象はかなり普遍的なものなのかもしれない。 posted at 01:06:12
  • 同時にアーキテクチャの生態系で紹介されていたように、日本人のウェブ利用は繋がりの社会性(=内容よりも行為自体が目的化したコミュニケーションを好む傾向)が大きく影響しているとすると、そもそも教育コンテンツの中身があまり重視されていない可能性もある。 posted at 01:05:35
  • でも俺が考えてるのは、インターフェースには文化的影響が色濃くあるんじゃないかと思って、そこに学習の促進を促すような仕組みがあると仮定している。例えばschooならばニコ動みたいなコメント方式だし、manaveeならば先生の親近性だし。 posted at 01:04:41
  • 言われていることは理解出来るけど返しが思いつかない。ようするにオンライン授業には、ヘルパーがついてるMOOCsやオンライン大学みたいなものと完全に自主学習のものがあり、後者の場合は修了率とか関係ある?て聞かれてるんだよな多分。 posted at 01:03:49
  • 先生への返信考えなきゃ(白目 posted at 01:02:35
  • ひと通り全部英語でやって英語勉強しないとやばい。論文も映像もメールも会話も英語英語英語英語。(死にそう posted at 01:02:20
  • ちょっとずつプログラミングの勉強も再開させよう。教育工学やるのにプログラミングはやっぱり無駄じゃないみたいだし。 posted at 01:01:56
  • 今日の分修了 posted at 00:19:07
  • Udacityはスキルの習得を目的としているわけだから、むしろ何度も繰り返し学習することは推奨されるべきではないか posted at 00:15:49
  • 向かないない posted at 00:15:22
  • でもこれ前回受けたときの解答が残ってるから再学習には向かないない posted at 00:14:33
  • Udacityで Intro to Statisticsを受け直す posted at 00:13:09