太鼓眼鏡の似非教育学的考察

太鼓眼鏡のブログです。不定期更新ですが、よろしくお願いします。

日本人は誰がオープンエデュケーションの恩恵を受けているのか

卒論の内容を考えるためのメモ。

 

2001年にMITがOCW構想を発表し、動画及び文書、画像など様々な教育コンテンツがオンライン上に溢れかえるようになった。こうしたオンラインのコンテンツはOER (Open Educational Resources)と呼ばれ、世界中で用いられている。また再利用が可能なOER以外にも、2011年からMOOCs (Massive Open Online Courses)と呼ばれるオンラインコースが普及しだした。

しかし一方で、教育を大きく変えると言われたMOOCsもかなり雲行きが怪しいのが現状であるし、オンライン教育の限界についても研究が進んできている。

 

オンライン教育は「げたをはかせる」ようなものだと思う。つまり、今まで出来なかったことが可能になる、痒いところに手が届くようなものであり、革新的な変革を呼ぶものではないのではないか。

例えば、今まで教育機会がなかったものにビデオという形で教育を提供する。より多くの人にコンテンツを配布する。より効率よくレポートを回収する。成績表を提示する。フィードバックを与える。共同作業を行う。オンラインミーティングを開く。

こうしてみると大体その効果・目的は2つに分かれる。

1.Enlargement (機会の拡大):今まで教育機会を与えられれなかったものへの機会の提供/新しい教育機会の提供/非伝統的な学習者(社会人学生など)への機会の提供等

2.Enrichment (質の向上) :新しい教育形態(アクティブラーニング・反転学習等)/共同学習への利用/教材コンテンツの復習等への利用等

これは田口さんの考えをお借りしたもので、ただ僕はMOOCs等のオープンラーニング、つまりオンライン教材を用いた自学自習スタイルの学習機会は大学生などの学習機関の在籍者にとっても新しい教育機会として捉えられるんじゃないかと考える。

また1・2に共通して言えることは、「ニーズ」がないところでは上手く機能しないということだ。これは明らかで、必要とされてないところに教育機会なんて与えた所で意味がない。反転学習だって、教授がいらないと思った時点で終わり。

京都大学では、今年度から入学しているベクトルや行列を習わない理系学生向けにOCWに自学でそれらの単元が学べるコースを設けたらしい。そこには、高等学校レベルの内容なんて教えたくない教授陣のニーズが存在していた。

他にも某映像授業の予備校やNPO法人のように受験生をターゲットにしたものやプログラミングなど必要に迫らえた人を対象とした試みはある程度成功しやすいように思える。

そしてこれらの特徴は飯吉先生の述べる「高等教育2.0」、つまりDemand-Pull型の教育機関への転換という話によくにているのではないか。少なくともICTを用いて、しっかり今の教育に下駄をはかせるためには、そのDemandがどこにあるのかを把握する必要があると考えられる。

では、世界的に見ても遅れていると言われる日本のICT教育を、その中でも特にオープンラーニングに注目した時に、誰がどのような目的で用いているのだろうか。

その目的と学習者像を明らかにしたい。